ポエム いのち

いのち


聡明な王子がいた。門からいたずらに外に出
て、世間というものを知ってから、かれは苦
行を重ねた。肉体の痛みで精神の痛みをやわ
らげる日がつづいた。


精神の痛み。それが何なのか、いつも考えて
いた。そこでまさしくみずからが考えたり、
思ったりしていることに気づいた。それを止
められれば、精神の痛みはなくなるのではな
いのか。通りがけの女の手に抱えられていた
乳白色のミルク壺が光った。


大きな樹のもとに静かに坐って、みずからの
精神の動きを観察した。考えや思いが次次と
湧いて出ては、変わっていった。過去のこと
も、現在のことも、未来のことも、脳裏をか
けめぐっては、また変わってゆく。


摑みどころのないこの精神の動きは、その摑
みどころのなさゆえに、根拠は欲望に根づい
た妄想であったと知った。根拠をなくせば、
すべて妄想であるはずだ。


呼吸がかれの胸をふくらませた。汗がかれの
顎から滴った。かれは妄想にまかせて、それ
に捉われないでいた。やって来ては去ってゆ
く考えや思いは、何処から来て、何処に去っ
てゆくのか。


頭の思いは、有るにはあるが、無いと言えば
ない。われわれが妄想に捉われていることは、
はっきりした。この妄想があるからこそ、そ
れを除けば、一切空ということが分かるのだ。


この考えや思いが無いならば、われわれにあ
るのは、いま生きている、生かされているい
のちの他に何もない。すべての生きとし生け
るものは、ひとしく同じ原理をそなえている
いのちではないのか。


一切衆生悉有仏性。山川艸木悉皆成仏。生き
ているかぎりすべてのものがいのちに保たれ
ているのだ。平等でもなく、勝ってもなく、
劣ってもいないいのち。他のひとびとは、そ
れに気づいていないだけなのだとかれは知っ
たのだ。大地に腰を落ち着けてじっと坐るか
れの頭上で、五月の青い風が大きな樹の葉を
ことごとく揺らした。

ポエム ライフワーク

ライフワーク
               F・H氏に


かれは大学を卒業後、フリーターを経て、都
銀の不動産会社に採用された。よく働き、行
政書士等の資格をとった。定年を了え六十三
まで勤めた。それと同時に禅の修行を積んだ。


七十を過ぎて、みずからが生まれ育った街の
中心地にちいさな家を買って、妻と別居した。
禅仏教の学習と神戸震災の朗読や傾聴、宮沢
賢治の読書会、その他ボランティア活動など
のライフワークを実行するためだったらしい。
夜九時には就寝して、午前三時には起床する。
起床するとまず風呂に入り、そのあと、家の
拭き掃除等、家事をはじめるか、みずからの
勉強をする。


妻と子供たちには、すでに遺書をのこしてい
る。かれの妻はその突然のような、別居によ
って、ひどく悲しんでいるらしい。娘たちも
同様で、かれを非難するが、かれは死ぬまで
に自分がしたいことを自由に貫こうとしてい
る。


戦後、貧しい時代に育ったかれは、身に着け
た、否、身につけねば生きてこられなかった、
様ざまな生きる技術をライフワークに活かし
ている。かれはみずからを多動性障害だと言
っているが、しょっちゅう、身体を動かして、
歩くのはとても速い。今日もまた家にいない。
何処に行くともなしに、自在にそのいのちの
まま動いているのだ。

ポエム 天子の使徒二

天子の使徒 二
K・W氏に


福原跡に仮寓してから二ヵ月が経とうとして
いる。季節は穀雨に入った。明け方はまだ寒
い。おまえからの返事はまだ来ない。おまえ
のことだから、こころ動かざること、勝たざ
るを視ること猶勝つがごとし。みずからを省
みて直くんば、千万人と雖もわれ往かん、と
気を練っているのかもしれない。


天子の使徒よ、そのこころ、おのずから気宇
壮大なり。おれの量れるところではない。お
れには、いつも朗らかに笑うおまえの声が聞
こえてくるばかりだ。季節の移り変わりは早
い。健康には十分留意してほしいと願う。そ
ちらでは、まだ鶯の声が聞こえるだろうか。


天のこの民を生ずるや、先知のひとをして、
後知のひとを覚さしめ、と伊尹、孟子の言葉
をこころに刻んでいるのかもしれない。おそ
らくそうだろう。いつ戻ってくるのかは知れ
ないが、おまえはひそかに思っているはずだ、
われは天民の先覚者なりと。