紙の表裏
われわれは進歩しているのか、退歩している
のか分からないが、おのれに与えられた時間
を生きねばならない。損得盈虚は時間の常だ。
深く生きるということなら、すこしは判る。
じっくり硬い土に根をつけるには、どうして
も時間が必要になってくる。何事もひとつの
道を貫くほかないのだ。損と得とは一枚の紙
の裏表。どちらにも学ぶべきところがある。
死んだら灰になる人生に特別なこととて、も
ともとないのだ。あるいは、すべてが特別な
ことだ。ただ生きているという不思議。老い
るという不思議。死ぬという不思議。生まれ
てきたという不思議。それをまえもって考慮
に入れられない不思議。もう同じ時間を二度
と生きないことだけが確かなことだ。
一枚の紙を破くとき、破けるのは損や得だけ
ではない。考えようとするすべてが破けるの
だ。そもそも、考えるというのは何なのか。
脳髄の一作用である。おこがましくも卑しい
われわれが考えるというのは、どうしても卑
しいことに違いない。それでも考えるという
ことは、考えるという欲望に依っているのだ。
ろくな考えでもない考えを考えるほど馬鹿ば
かしいものはない。おれの考えもその範疇に
入る。その愚にもつかぬ考えをよく見れば、
何のことはないひとときの妄想にしくはない。
たとえ考えであっても、すぐに消えてしまう
ものだ。その馬糞のような考えを握ってしま
う慣習のあるひとの多さ、ともに凡夫である。